グランデザイン株式会社

Concept

グランデザインとは「大きな絵」

21世紀に入る少し前あたりから日本という国は方向感を失っているように感じています。
明治以来の中央集権化の制度疲労、都市化と工業化の飽和、少子化と高齢化の進展。 産業は、教育は、福祉はどうあるべきなのか・・・。
資本主義対共産主義の対立軸が消失し、世界の消費をけん引してきた米ドル経済が行き詰まる中、
日本は国際社会の中でどうふるまうべきなのか・・・。

一方では、普段の生活で小さな喜びを幸せと感じるという、あたり前の価値観が復活し、
日本人の「幸せ」に対する考え方も成熟してきていることを感じます。
19世紀以前の日本人が大切にしてきた精神性や価値観に立ち戻ることで20世紀に追い求めていたものを一度相対化し、
今後の方向性を見出すことができるのではないでしょうか。
環境への関心の高さ、農業や食品への注目の高さ、地域の多様性を大切にする気運。
これらはいずれも20世紀に行き過ぎた経済活動を元に戻す動きでもあります。

表面の小さな波にとらわれることなく、深層の大きな流れを見すえて、
これからの社会に価値ある事業に貢献したい、そう考えてこの名前をつけました。
具体的には、経営企画やマーケティングの面で事業のお手伝いをしています。
規模の大小に関わらずお気軽にお問合せ下さい。

Profile

黒田 浩介 Kosuke Kuroda

代表取締役
経済産業大臣登録 中小企業診断士  
(一社)日本ダイバーシティ・マネジメント推進機構 認定ダイバーシティ・コンサルタント

 
略歴
  1968年 大阪府生まれ
  1987年 大阪府立北野高校卒業
  1992年 東京大学法学部卒業
  同年   伊藤忠商事(株)入社
  2007年 (株)ブレアコンサルティング入社(取締役)
  2010年 グランデザイン株式会社設立

  以下により詳しい経歴を現在からさかのぼってご説明申し上げます。
 


 これまでにたくさんの皆様から教わったことを生かして、世の中の役に立つ事業に携わりたいと思い事務所を開設いたしました。  大きな組織に所属する良さもありますし、小さな組織や得意分野を持つ個人が目的ごとに離合参集して事業を行うのも面白いと思います。特にスピードが必要な場合には後者のほうが適しているように感じています。
 一つ一つの出会いを大切にしながら、社会的に価値ある事業をご一緒にできればと思います。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。


 株式会社ブレアコンサルティングは服部隆幸先生が代表を務めておられたコンサルティング会社です。服部先生は日本を代表する顧客戦略の専門家です。アメリカのマーケティングで言うCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)やワントゥワンマーケティングに相当する「顧客との関係づくり」を日本の営業の現場から作り上げられました。システム会社主導のデータベースマーケティングの弱点を看破され、理と情による人と人とのつながりを大切にする経営の仕組み「ブレアロジック」を提唱し続けておられます。絵画や音楽にも明るく、人間的な魅力にあふれた方です。  2003年に先生の著書「そのお客様をつなぎとめろ!」(ダイヤモンド社)に感動して門をたたいて以来ご指導いただき、2007年から取締役として同社にお世話になりました。この本は私の人生を変えてくれた一冊です。在籍中は百貨店や旅行会社、保険会社などの顧客づくりのプロジェクトに携わりました。「ブレアロジック」は間違いなく本物の考え方です。これからも案件ベースで一緒に取り組みさせて頂ければと思っております。


 少子高齢化の時代に合ったサービスを開発することに取り組みました。当時は2006年問題といって団塊の世代の大量リタイアがビジネスチャンスとして取りざたされていました。  宅配ビジネスを展開する(株)ファミリーネットワークシステムズとの業務提携を実現できました。同社は町の酒販店のボランタリーチェーンで、コンビニ全盛の当時、「これからは宅配の時代である」、ということで堀田社長と意気投合し、「ネイバーフッドサービス」という造語を作って、血の通わない全国チェーンではなく、昔から地域に住んでいる酒屋さんが近所の人々に食品をはじめ様々なサービスを提供する仕組みを作ろう、将来は在宅介護などにもつなげようという大きな夢を持って取り組みました。伊藤忠とつながりのある地方のおいしいものを紹介しました。堀田社長や卸の皆様からは食品ビジネスのいろはを教えていただきました。  シニアビジネスで当時注目されていたクラブツーリズム(株)との業務提携も実現できました。同社は首都圏中心に多数の会員を持つ大手旅行会社です。平日に割安な旅行に出かけるシニアを見事にコミュニティ化しています。経営陣も非常にビジョンがあり、旅行以外の分野で共同で新しいサービスを提供できるのではないか、という構想にわくわくしながら仕事をすることができました。  シニアの一方でこどもを対象としたキッザニアの立ち上げに伊藤忠として協力することができました。キッザニアは遊びながら働くことを学べる「エデュテイメント」という新コンセプトの施設です。当時日本の教育は「詰め込み」と「ゆとり」の狭間で方向感を失っていました。何のために学校に行くのかもよくわからない子供たちがたくさんいます。キッザニアはそうした子供たちへの一つの解決策だと思います。住谷社長から事業案を聞いたときには本当にワクワクしました。全く新しいコンセプトのものを説明して人々の賛同を得ることは困難ですがやりがいのあることでした。  道の駅をネットワーク化する「未知倶楽部」構想の企画立案をお手伝いしました。現在では300を超える道の駅が参加しています。全国に1000か所近く存在する道の駅を地域の核施設と位置づけ、地域に眠っているヒト・モノ・情報の発掘・ビジネス化を通して地域経済の発展に寄与するというものです。この取り組みは現在も続いています。  消費者の価値観は多様化しています。日本の国家は明治の中央集権化から地方分権化へと流れが変化しています。総合商社は大きくて大量のものを扱うことよりも、小さく分散したものをどう扱うかという(苦手な)課題を克服することで一段階成長できると私は考えていました。上記の取り組みはそうした考えに基づく私なりの解決策でした。
 こうした取り組みが実を結ぶ反面、個人的には壁に突き当たっていました。大きな組織では担当を頻繁に変わらなければならないことです。大きな構想で長期的な事業開発を責任を持って行うためには不利でした。そこで小さな組織へ移動することにしました。


 当時アメリカを中心に盛り上がっていたRFID(非接触ICチップ)の存在を知り、物流や顧客管理への応用を検討しました。「モノのインターネット」として、ICチップの低価格化であらゆるものにICチップが付き、データとして管理できるという壮大な構想に夢中になりました。シリコンバレーにも出張させてもらい当時の先端技術を持つ人々と会うことができました。そうした中で「携帯電話が財布代わりになる」ということを知り、顧客情報の管理にも結び付くと考えて追いかけました。  ICカードの決済システムとして世界標準であるマスターカードの「PayPass」を担ぎ、その端末やシステムの販売に取り組みましたが、国内規格であるソニーのフェリカになかなか勝てませんでした。日本では決済のようなグローバルな分野でも日本独自の規格が支持されることに正直驚きました。当時はまだ一般にはICカードへの理解も普及しておらず、おサイフケータイの実現を信じる人も少数で、この部分でビジネスを作り出すことができませんでした。タイミングが重要で、新しすぎてもいけないことを痛感しました。


   2001年に伊藤忠商事と西武百貨店の業務資本提携プロジェクトがあり、志願しました。機械カンパニーという百貨店とは全く縁のない部署にいたのですが、トルコ駐在時代にマーケティングに興味を持った私を繊維出身の岡藤正広室長(当時、2010年より社長)が拾って下さったのだと聞きました。  各カンパニーからのメンバーが集まった総本社のプロジェクトに参加できたことは大変大きな糧となりました。それまで自動車貿易しか知らなかった自分が、繊維、食糧、情報産業といった全く別の業界のビジネスモデルを勉強できたからです。まさに「水面から顔を上げた」ように視界が開けました。商社にお勤めの方は同様の経験をされることを強くお奨めします。  百貨店との提携では特に商品管理と呼ばれる、物流や受発注・支払などの裏方業務の合理化を検討したり、当時走りだった環境対策としての生ごみのリサイクルなどの取り組みを模索しました。  2002年からは情報産業出身の小林栄三室長(当時、2010年より会長)となり、百貨店の顧客データベースにヒントを得て、伊藤忠グループの消費者ビジネスに横串を刺した顧客管理を行えないかという取り組みを提案しました。今のTポイントなどと同じ発想です。  また、リテール企業に対して伊藤忠グループが提供できるサービスを横断的にまとめた「リテールプラットフォーム」構想を提案し、パンフレットを作って窓口業務を行いました。しかし、縦割り組織の壁は厚く有機的な連携を作り出すところまでは届きませんでした。  この時代は多角化した企業の組織に横串を刺して総合力を発揮する仕組みづくりを追求し、挫折した時期であります。たいへん勉強になりました。


   トルコ語を習得したことがきっかけで機械カンパニーの自動車部門に拾ってもらいました。当時トルコはトヨタやホンダも現地生産を計画する重要な市場だったからです。  伊藤忠商事はマツダ車の海外貿易を担っています。当時マツダにはアメリカのフォードからマーケティング面でのサポートが強くありました。そのおかげで自動車会社のマーケティングを学ぶことができました。また、担当したイスラエルはマツダが全メーカー中で販売シェア1位という市場で、現地販売代理店の優秀な経営手法は大変参考になりました。  1998年から2000年には駐在で伊藤忠商事が現地資本とイスタンブールに設立した合弁事業に経営企画担当マネージャーとして赴任しました。日本人は社長と二人という環境でパートナーやスタッフ、ディーラーのトルコ人の人々との仕事で、無我夢中という感じでした。長時間働いていましたが今思えば生意気なことばかり言って役には立っていなかっただろうなぁと思います。極端な円高・ユーロ安の状況で日本車の輸出は厳しく結局は事業撤退となりました。1996年に結婚しましたが、家族にはもっとも負担をかけた時期でした。  しかし、とても印象的なことがありました。ディーラーを訪問していたとき、修理工場に全壊した車両がありそのオーナーが「この状態なのに全員けがひとつなかった。さすがはマツダだ。マツダに乗っていて本当に良かった。」と涙ながらに語ってくれたのです。恥ずかしながらそのとき初めて気づいたのです。自分の仕事はここにつながっていたんだ、と。消費者との接点こそが大切だと。


   1994年にトルコ語研修生の社内公募があり、志願しました。早く海外に行きたかったのです。「なぜトルコなの?ドイツにすれば?」と皆さん忠告してくださいました。理由は二つ。トルコ語の研修生は社内で初めてだったこと。それと、トルコという場所の地政学的な重要性は古代から不変であることです。ヨーロッパとアフリカとロシアとアジアの中間にあります。NATOの重要戦略拠点です。自分が会社に勤めている間にはこの重要性は変わらないと言い切れると考えました。この確かなものの上に自分のキャリアを築きたいと考えたのです。トルコはEU加盟をめざし、関税同盟を結んでいます。従い、EU向けの繊維や機械の生産基地になっています。しかしイスラム教徒が多く、アラブや東南アジアとも浅からぬ連帯があります。旧ソ連の中央アジア諸国とは歴史的なつながりもあります。当時はトルコ系企業がロシアでも成功していました。
 トルコ語はローマ字で書き、文法が日本語と似ているため、我々には学びやすい言語です。現地に行ったこともありますが、中学からやってきた英語よりも1年間で覚えたトルコ語の方が遥かに使いやすくなっていました。そして今でも忘れていません。
 トルコの人々は一般的に親日的ですが、大変よくしてくれました。いつかは恩返しをしたいと今でも思っています。できればトルコの経済の発展や、トルコ人の生活を豊かにするような事業に携わりたいと思っています。


 1992年に伊藤忠商事株式会社に入社しました。「野武士集団」と呼ばれていた雄々しさにあこがれての志望でした。売上高20兆円で当時の世界一。世界の果てまで一番乗りするつもりだったのですが、経理部税務総括室への配属。少し複雑な気持ちでしたが、諸先輩はとても親切に教えてくださいました。この時の経理や税務の知識や肌感覚は、ビジネスをする上でとても重要であり、今でも社会人としての原点になっています。
 余談ですが、会社の大きな変化を体験しました。それは、売上高至上主義から利益至上主義への転換です。それまで売上世界一が売り文句だった企業が、業績評価指標を利益に切り替えた後は、誰も売上のことを言わなくなったのです。目標設定によって人はこうも変わるのかと思いました。
 利益主義に変えたことで財務体質は良くなりましたが、一方で商社が日本経済で果たしていた、リスクマネーの供給者という役割が小さくなってしまいました。間接金融主体で、銀行が大量の預金を持つ国で、それを借りてリスクのある事業に回すのが商社の役割だったと思います。取引に関与しているからリスクの見極めが銀行以上にしやすかったのだと思います。もちろん失敗して不良債権になったものも多かったわけですが、この機能は今の日本にも必要なのではないかと思っています。


 1968年大阪府生まれ。
 千日前の黒門市場のそばの祖父母の家で生まれ、3歳からは千里ニュータウンで育ちました。
 1987年大阪府立北野高校卒業。
 高校時代は硬式テニス部に所属。へたくそでしたが、まじめに練習に明け暮れていました。厳しい練習に耐えたことで根性は鍛えられたと思っています。いつも早弁して授業中は寝ていて昼休みも練習でした。勉強していなかったので一浪しました。
 1992年東京大学法学部卒業。
 大学時代はバイトをして、サークル活動と海外貧乏旅行に没頭していました。特に北米大陸をグレイハウンドの長距離バスで1か月かけて横断した経験は懐かしく、またヨーロッパを3カ月かけてまわりました。そのとき感じたのは、雄大な景色は3日で飽きるが、人との出会いには飽きることがない、ということでした。旅から帰ると覚えているのは不思議と出会った人たちのことだったのです。
 バイトでは塾講師や家庭教師を多くしたので教えるということの訓練ができました。また、下宿の近くの飲食店で2年間皿洗いをしていました。時給は高くないので友人からはやめろと言われていましたが、今とても役立っています。飲食店は毎日同じことの繰り返しです。その中でどんな工夫をし、どのようにして品質を維持するか。ルーチンということの大切さを教えて頂きました。  授業も意外と真面目に出席していて、人からノートを借りるということは姑息な気がして嫌いでした。講義中寝ていることも多かったのですが、起きているところから試験に出るという特技(?)があったので、無事卒業することができました。

Service

企画部門の業務の一部をアウトソーシングしませんか。

 次のような課題をもつ会社のお手伝いをしています。

 ● 組織が大きくなりタテ割り意識が強く総合力が発揮できていない。
 ● 日々の営業力はあるが、大きな視野で新しい方向性を打ち出す人材がいない。
 ● 創業者のバイタリティでリードしてきたが、そろそろ組織の力をつけていきたい。
 ● 市場が成熟してきたため、広告宣伝の効果が薄れ売上が伸び悩んでいる。
 ● ポイント制度を導入したがどうもうまくいかない。
 ● ベテラン営業マンのノウハウが若手に伝わらない。
 ● いろいろな数字は出しているが、適切な目標管理や業績評価ができていない。
 ● 自社の強み、弱みは何となくわかっているが、明確な戦略に落とし込めていない。
 ● 情報システムを構築するために事業目的や業務の整理・合理化を行いたい。

 大手企業での経営企画や事業開発の経験ある人材を、必要に応じて手軽に利用することができます。

 経営企画業務をアウトソーシングするメリットは、
 1) 優秀な企画マンをフルタイムで雇用するとコストがとても高くなります。
    アウトソーシングなら必要な時間だけ利用して、フォロー業務は社内人材で行うことができます。
 2) 社外の人間の客観的な視点で会社の既成概念を打破することができます。
 3) 社内の派閥やシガラミにとらわれずにプロジェクトを推進することができます。

 一般的にはプロジェクトの期間は半年間から3年間ぐらいに設定し、週に何回、月に何回といった形で業務を委託する頻度を決めて業務委託契約を締結します。プロジェクトの目的によりやり方はさまざまです。お気軽にご相談ください。

CRM

顧客戦略

カスタマー・リレーションシップ・マネジメントがアメリカから伝わって20年以上が経過。人口減少社会ではリピーターとの関係深化はますます重要になっています。最近ではマーケティングの自動化が注目されていますが、根底にはしっかりとした顧客戦略のグランデザインが必要です。

Local Business

道の駅

グランデザインでは道の駅の設置者・運営者に対する助言を行っています。「その道の駅は地域にとってどんな存在であるべきか」という大きな絵(グランデザイン)を描いた上で、道の駅のコンセプトを再構築したり、施設の魅力を高めるための具体的な施策をご提案しています。

Turkey

トルコ

NITAとの提携により、トルコでのネットワークを生かして、日本でまだ知られていないトルコの上質な商品を日本に紹介しています。両方の文化を知るメンバーによって消費者の志向や商慣習のギャップを補いビジネスを実現します。新しい商材を求める卸売業や小売業のバイヤーをお手伝いします。

About Us

会社概要

会社名

グランデザイン株式会社

本社所在地

〒107-0062 東京都港区南青山4-16-3 南青山コトリビル301(2021/7より住所が変わりました)

代表者

代表取締役 黒田浩介
  取締役 砂原朝美

設立

2010年07月

財務

流動資産 31,813  流動負債 16,600  
固定資産   3,979  固定負債   2,995
総資産    35,792    自己資本 16,197  (単位 千円 2022年12月期)



グランデザイン株式会社
〒107-0062 東京都港区南青山4-16-3 南青山コトリビル301

2021年7月より住所が変わりました。

東京メトロ「表参道」または「外苑前」より徒歩10分
■表参道からの詳細
表参道交差点を西麻布・根津美術館の方へ進み、最初の角を左折して進み、左側にファミリーマートのある角を右折、次の四つ角を左折。長いまっすぐな坂道を下って少し上ったところの信号の無い横断歩道がある路地に右折して入る。ビルの1階はレストランCork/Las。


■外苑前からの詳細
青山通りを表参道方面に進み、、「南青山三丁目」の交差点を左折して外苑西通りに入る。 1つ目の信号(角にスキーショップ)を右折し、坂を上り直進して坂を下り始めたところにある、信号の無い横断歩道がある路地を左折。ビルの1階はレストランCork/Las。

■お車でお越しの場合
近隣のTimesなどコインパーキングをご利用ください。

 


Contact

グランデザインに関心をお持ちいただきありがとうございます。

当社ではお客様にとってのコストを下げるため、電話番のスタッフを置いておりません。 恐れ入りますがお問い合わせには下記メールフォームをご利用くださいませ。 すぐに返信いたしますので、ご連絡先のメールアドレスをご記入ください。 よろしくお願い申し上げます。